
茶で脳を磨く台北の夜-北宋の美意識と長寿の科学-
足さない料理が生む香りと余白の美学
台北の「天香樓」で、代表的な料理である「龍井蝦仁(エビの茶葉炒め)」を前にすると、いつも少し複雑な気分になります。
皿の上には、小ぶりなエビと、針のように尖った若緑の茶葉があるだけ。そこには、潔いほど余計なソースも飾りもありません。
「これ以上、何を足す必要があるのか」
そのような問いを皿の方から投げかけられているような、心地よい緊張感があります。
この店を訪れる前に、故宮博物院で北宋時代の書を鑑賞しましたが、そこには共通する美意識がはっきりと感じられました。
- 足さないこと
- 主張しないこと
- 香りと余白に語らせること
という美学です。
興味深いのは、この美意識が最新の健康科学とも共鳴している点です。

龍井茶とエピジェネティクス ― 香りが整える長寿のリズム
近年のエピジェネティクス研究では、茶葉に含まれる特定の成分が、細胞老化を加速させる要因である酸化や慢性炎症に介入し、テロメア短縮のスピードを緩める可能性が議論されています。
寿命を無理に「延ばす」のではなく、「削らせない」。
この発想こそが、実に北宋的な考え方であると感じます。
店内を見渡すと、ワインを楽しんでいるのは私たちのグループだけで、他のお客様は皆ティーペアリングを堪能していました。
龍井茶を食べ、口をすすぎ、その香りを吸い込む。
その一連の行為は、自身の遺伝子システムに対して「今は急がなくていい」と静かに告げる、慈しみのような儀式なのかもしれません。

また、香りを愉しむという行為は、記憶と感情を司る「海馬」に直接届く数少ない感覚であることが分かってきています。
カリフォルニア大学の研究報告を引用するまでもなく、この「香りのエンリッチメント」は、認知機能の低下という課題に対する、極めてエレガントな処方箋の一つと言えるでしょう。
「健康のためにお茶を飲む」なんて、無粋なことを言うつもりはないですが…。
しかし、香りを愉しんでいるうちに、身体が自然と若さを保つ方向へ整っていくのであれば、それ以上に理想的なことはありません。
この一皿は、最先端の長寿食として私の中ではっきりと蘇りました。
お茶を十分に堪能した後の二次会は、やはりワインが恋しくなり、香港人の友人に連れられてワインバーへ向かいました。
今は亡きニコラ・ポテルの「レ・ザムルーズ」を開けた際、なぜか少し胸に迫るものがあったのは内緒の話です。
このお話については、また別の機会に譲ることにいたします。


〔大友“ピエール” 博之〕
日本のみならずロサンゼルス、フランクフルト、香港、バンコクに拠点を持ち、個別化医療(precision medicine)を実践している。免疫栄養学に基づいた食事指導、ホルモン補充療法、運動療法を取り入れた治療で定評がある。
・ 医師 日本抗加齢医学会専門医 / 欧州抗加齢医学会専門医 / 日本麻酔科学会専門医
・ 西洋薬膳研究家、シェフドクターピエールとしても活躍中
・ 渋谷セントラルクリニック代表
・ 一般財団法人 日本いたみ財団 教育委員
・ 一般社団法人食の拠点推進機構 評価認証委員/食のプロフェッショナル委員
・ 料理芸術や食の楽しみといった価値感を共有するシェフなどが集う日本ラ・シェーヌ・デ・ロティスール協会のオフィシエ
・ ワインにも造詣が深く、フランスの主要産地から名誉ある騎士号を叙任している。
シャンパーニュ騎士団 シュヴァリエ / ボルドーワイン騎士団 コマンドリー /ブルゴーニュワイン騎士団 シュヴァリエ


